資本主義は成長が止まれば死ぬ。死にたくなければ、どんな無理、無茶をやってでも成長し続けなければならない。その悪あがきは、もはや目を覆うほど醜悪になっているが、たとえ世界が滅んでも構わないと言わんばかりに、資本主義は無限の成長を目指し続ける...。
すべての人間を資本家=人的資本とみなす現代の新自由主義下では、スキルアップが止まった資本家=人的資本も死ぬ。いや、さすがに殺されはしないが、用済みとみなされ排除される。資本家=人的資本として生き延びたければ、学歴資本をテコに昇進昇給のレールに乗るか、無茶苦茶な努力でスキルアップし続けるか、スキルアップが止まって排除されるか、という無慈悲な現実しかないように見える。それは、実際に会社で働いてみれば、誰もが身をもって思い知らされることだ。大卒新規入社で順調に昇進している「元気な人」、中途採用で無茶苦茶がんばってスキルアップし続ける「過労死寸前の人」、スキルアップが止まって腐り続ける「生ける屍のような人」。スキルアップが止まっても生き延びるために周囲の足を引っ張り、周囲のスキルダウンによって相対的に自分のスキルアップを目指す「意地悪な人」。(最近の複数の有名人のスキャンダルにしても、自分たちよりスキルの高い有名人がひとたび不祥事を起こせば一斉に罵声を浴びせる光景は、スキルアップに行き詰まった多勢による魔女狩りのようで、ただただ醜悪で恐ろしい。)こんな現実には、もう耐えられない...。
出口は、この残酷な新自由主義的資本主義を拒否することしかない。人的資本として生きさせられることの拒否。新しい人間の発明。その実戦を具体的にイメージすることは難しい。すぐれた芸術作品の中にかすかに触れることができるだけだが、今は、それに触れ続ける以外に希望はない。