モッシュしたい、というのも、しょせんアナーキズムの一種に過ぎず、そこから切断されなければならないということ。暴力をアナーキーに散らすのでなく、天皇制と資本主義の廃棄という正しい方向へ組織する方向へ進まねばならない。アナーキズムの誘惑がいかに強烈なものであろうとも。

しかし、モッシュの問題が残る。モッシュの享楽だけは、否定できない。俺はもう露骨に、モッシュがすべて、音楽は手段に過ぎないと割りきって、突き進むしかないのか。

もう何年も、私はハードコアパンクの暴力性に魅惑されてきたが、その暴力性が、天皇制と親和的であることが徐々に明らかになるにつれ、身体が拒絶するようになってきた。実際、天皇大好きを公言するパンクスは多く、ツイッターなどでその手の発言に触れるたびにうんざりさせられてきた。もう耐えられない。おさらばだ。
といって、暴力の問題から逃げられるわけではなく、権力に対抗できるのは暴力しかないと思っている。今後は天皇制と非和解的な暴力を、たとえば小説や映画の中に探していきたい。

共産主義は労働の解放である、という観点を決して手離さないことが大事だ。働かないことが革命だなどと考えるのは致命的な堕落だ。労働は資本と国家に従属している限りで悲惨であり、革命とは、資本と国家を廃棄し、労働本来の喜びと尊厳を取り戻すことだ。老後は年金でのんびりと、などというのは、資本ど国家に屈服した思考である。すべての年金生活者を軽蔑すべし。われら共産主義者は、資本と国家に抵抗しながらくたばるまで働き、働けなくなればさっさとくたばるだろう。

黒沢清監督のクリーピー。キュアのような清々しいまでの完全絶望映画の傑作を期待していたのだが、そしてそうなりかけていたのだが、ラストの安易な救済で全部台無しになってしまった。

ロクヨン後編、つまらなかった。大物役者たちの暑苦しい演技合戦にうんざり。

FAKEを見た。マスコミによって固定されたイメージが異化される面白さ!ただ、ラスト12分の衝撃というのが意味不明だったんだが。