なんだかんだ理屈を捏ねて逃げても、気が付けばハードコアを聞いている。高校中退の底辺オヤジには、やはりこれしかないのだった。

ハードコアパンクというのは要はヤンキー文化であり、その程度の暴力では、権力にまるで対抗できない。
私は暴力が嫌になったのではなく、その程度の暴力が嫌になったのであり、今後は権力側が本気でビビるような、恐ろしい暴力を探求していこうと思う。もちろんそれは合法的でなければならないが。

いよいよ、ハードコアとかパンクとかロックとかが、身体的に受け付けなくなってきた。何かとんでもない錯覚から、こんなゴリラの世界に踏み込んでしまったが、もう限界。今度こそ切断しなければ。とりあえず音楽としては、以前好きだった前衛で十分。

モッシュしたい、というのも、しょせんアナーキズムの一種に過ぎず、そこから切断されなければならないということ。暴力をアナーキーに散らすのでなく、天皇制と資本主義の廃棄という正しい方向へ組織する方向へ進まねばならない。アナーキズムの誘惑がいかに強烈なものであろうとも。

しかし、モッシュの問題が残る。モッシュの享楽だけは、否定できない。俺はもう露骨に、モッシュがすべて、音楽は手段に過ぎないと割りきって、突き進むしかないのか。

もう何年も、私はハードコアパンクの暴力性に魅惑されてきたが、その暴力性が、天皇制と親和的であることが徐々に明らかになるにつれ、身体が拒絶するようになってきた。実際、天皇大好きを公言するパンクスは多く、ツイッターなどでその手の発言に触れるたびにうんざりさせられてきた。もう耐えられない。おさらばだ。
といって、暴力の問題から逃げられるわけではなく、権力に対抗できるのは暴力しかないと思っている。今後は天皇制と非和解的な暴力を、たとえば小説や映画の中に探していきたい。

共産主義は労働の解放である、という観点を決して手離さないことが大事だ。働かないことが革命だなどと考えるのは致命的な堕落だ。労働は資本と国家に従属している限りで悲惨であり、革命とは、資本と国家を廃棄し、労働本来の喜びと尊厳を取り戻すことだ。老後は年金でのんびりと、などというのは、資本ど国家に屈服した思考である。すべての年金生活者を軽蔑すべし。われら共産主義者は、資本と国家に抵抗しながらくたばるまで働き、働けなくなればさっさとくたばるだろう。