ブラックスキャンダル、地味だがしっかりした演出で飽きなかった。スコット・クーパ―という新人監督、今後楽しみだ。禿げ頭で革ジャンのジョニデの迫力もなかなかだったが、久々にケビン・べーコンが見れてよかった。

オデッセイという映画をIMAX3Dで見たんだが、前評判から期待していた変なディスコミュージックでノリノリのシーンは少なめでほとんど笑えず、といって手に汗握る展開にもとぼしく、3Dの迫力もお約束程度で、途中から退屈で仕方なかった。米中協力でめでたしめでたしというのも、今の世界資本主義の反映を見ているようで(一昔前なら中国ではなく日本だったんだろうが、今やすっかり没落した日本は完全無視)、いやーな気分になるだけだった。

資本主義は成長が止まれば死ぬ。死にたくなければ、どんな無理、無茶をやってでも成長し続けなければならない。その悪あがきは、もはや目を覆うほど醜悪になっているが、たとえ世界が滅んでも構わないと言わんばかりに、資本主義は無限の成長を目指し続ける...。
すべての人間を資本家=人的資本とみなす現代の新自由主義下では、スキルアップが止まった資本家=人的資本も死ぬ。いや、さすがに殺されはしないが、用済みとみなされ排除される。資本家=人的資本として生き延びたければ、学歴資本をテコに昇進昇給のレールに乗るか、無茶苦茶な努力でスキルアップし続けるか、スキルアップが止まって排除されるか、という無慈悲な現実しかないように見える。それは、実際に会社で働いてみれば、誰もが身をもって思い知らされることだ。大卒新規入社で順調に昇進している「元気な人」、中途採用で無茶苦茶がんばってスキルアップし続ける「過労死寸前の人」、スキルアップが止まって腐り続ける「生ける屍のような人」。スキルアップが止まっても生き延びるために周囲の足を引っ張り、周囲のスキルダウンによって相対的に自分のスキルアップを目指す「意地悪な人」。(最近の複数の有名人のスキャンダルにしても、自分たちよりスキルの高い有名人がひとたび不祥事を起こせば一斉に罵声を浴びせる光景は、スキルアップに行き詰まった多勢による魔女狩りのようで、ただただ醜悪で恐ろしい。)こんな現実には、もう耐えられない...。
出口は、この残酷な新自由主義的資本主義を拒否することしかない。人的資本として生きさせられることの拒否。新しい人間の発明。その実戦を具体的にイメージすることは難しい。すぐれた芸術作品の中にかすかに触れることができるだけだが、今は、それに触れ続ける以外に希望はない。

ただもう素晴らしい!と呟いて絶句するしかないほどの傑作に久しぶりに出会った。横浜聡子監督「俳優 亀岡拓次」だ。荒唐無稽でシュ―ルな脱線に次ぐ脱線がおおらかな笑いと共に疾走する。映画の奇跡、奇跡の映画とはまさにこれ。普段はもはや笑うことも泣くこともできない廃人同然の私ですら笑い泣きの120分を満喫できた。中でも麻生久美子三田佳子の素晴らしさが目に焼き付いて離れない。横浜監督の次の作品が楽しみで待ちきれない。

慢性的な鬱が一時も晴れる時がないが、最近知ったダイナソ―Jr.の音楽がとても気に入って、もうちょっと生き延びれそうな気がしてきた。
シネコンが入っているおしゃれなファッションビルのような所は虫酸が走るほど嫌いだが、映画のためなら仕方ない。横浜ブルグで「白鯨との闘い」。3Dの迫力に物足りなさを感じたが、なかなかよかった。メルビルの白鯨も読み返さねばな―、たしか完読せぬまま放置しているはず。それよりも予告編で流れたタランティ―ノの新作がめちゃめちゃ面白そうだった。